デザイン〜design〜




気恥ずかしくも高尚なこの言葉を口にする
のは、数年前までは意識的に避けたものだ
った。

人はこの言葉の持つ響きに酔いしれる。
使っている本人も、それを聞いている人も
この言葉に酔いしれて、事の本質を見失い
かねない。
何でもない木石の連なりや幼稚な積み木じ
みたものでさえ、この言葉を借りれば高尚
な芸術の1ページとして人を感服させるこ
とも出来るだろう。

現代はデザインの時代である。全ての業界、世界にデザインは欠くことの出来ないものに
なっている。
話しは自分の業界、「造園」「花」関係に絞りたい。本質は変わらんと思うけど…。
 
もともと造園業界においてのデザインは大昔から機能性と精神性を追い求めてきたもので
あるから、俗に言うデザインというよりは職業的であり、目に見えぬ難解で地味なもので
あった。
ところが、ガーデニングがやってきた。
当初それらは見たことのない多様な色の世界があっただけで、「デザイン」「イングリッ
シュ」などの横文字の助けがなければ、とても見れたものじゃないチャチなものだった。
事実、既存の造園家さんの多くも一過性のブームと考え相手にせず、それどころか鼻で笑
っていた。
 しかし、わずか数年で事情は大きく劇的に様変わりした。ガーデニング一辺倒になった
のである。
街はカラフルな色で溢れ、家の女性が庭いじり・土いじりをするようになり、業者も「○
○造園」から「○○ガーデン」「○○デザイン」へと、今まで花なんて知らんとばかりに
下手をすれば花を踏みつけ植木を大事にしていた植木屋・造園屋が木を切って花を植える
スペースを作ったりするようになったのである。
 あれほどチャチだったデザインも今では驚くほど成長・洗練されたものになっており、
要は当初ブームを引っ張っていた二次元的、美術的な頭脳と、あわてたプロたちの身体的
(何より大事、養老さんも言っている)技術的な裏付けと、これはチャンスと出現した若
手や異才たちの努力の賜物と調和の結果だと思う。
 もう一つ、大きな役目を果たしこれからも道を左右するに違いないとんでもない大物が
いる…。
DIYショップ、ホームセンター(そのことはまた次の機会にしましょう)

 さて、本題のデザインそれ自体の話に戻る。
我々のデザインの素材となるもの。
花や葉や、枝、樹木、岩石、陶器、等々。
セメントやアルミニウム、鉄製品も使うけれども、主役は自然素材である。
 よいデザインとは
「自然」、により近いこと。そこに、「命」、があること。
自然素材、植物・石・土。
それぞれ命をもっている。
ならば我々のすべき事とは。
何もしないこと。汗かいて、腰痛めて、何もしないこと。
素材の命が光るために、出来るだけ余計な作為をなくし、自然の、何もしないような状態
にしてやること。
 無理だねそりゃ。理想、だな。しかもよくわからん。
ではどうすれば。
素材をよく見る。とにかく見る。
そして、素材の声を聞く。
それは、単によい素材を使えというのではなく、むしろその逆、アンバランスなものでも
未熟なものでも「俺を使え」と訴えてくる奴らを、言うとおりに置いてやること。
どんな素材でも、必ずそれにあった心地いい場所・形があるものだ。
そして、半人前の素材をデザインすることで、一人前になる手助けをしてやる。
一人前の素材は、へたにデザインすると、半人前へ、悪くすると殺してしまいかねない。
世の中はきっと、半人前同士が身を寄せ合って、やっと一人前としてのバランスで、成り
立っているのだろう。
 
 素材の声を聞く。
何故かそこらじゅう歩き回って、苦労して、へとへとになって、そのあかつきにしかその
声を聞くことが出来ない。
頭が疲れている時や、人に嫌気がさしている時は聞こえない。
体は大いに疲れても、心が疲れてはいけないらしい。

 という訳で、我々にとって実は、デザインするなんていうのはおこがましいことかもし
れない。
デザインという言葉には多分に、恣意的・独善的な響きがあるが、我々の場合、タレント
を光らせるために苦労する裏方さんのようなもので、我々に出来ることは、置いてやるこ
と。気分よく歌ってくれる環境を作ってやること。
そうすれば、タレントさんたちが、勝手によくなってくれるもの。
それはデザインというより、演出に近い。
 
 で、現実。
デザインは誰、のため。
素材のため、自分のため。
否。
100%?お客さんのためである。仕事であれば。
そこに海より深い溝があっても埋めてこそナンボ、いろんな人がいるのである。
お客さんの素朴な発想に答えようと努力することが、自分をプロの仕事師へと引き上げて
くれる。
 実は造園業の問題は、そこにこそあった。
いつの間にか、お客さんの方向を見ることが出来なくなっていた。
それどころか、デザインも忘れて、利益性のみを追い求める体質が出来上がっていた。
だからガーデニングという波にいとも簡単に押し切られた。
そういえば最近、あっちこちにそんな業界があるようだが・・・。
 造園、花の世界は今、昔よりずっと健全なのだと思う。
デザインを含めたガーデニングという横文字に含まれた、きな臭い問題や、小売業の厳し
い現実があったとしてもだ。

 私は最近、「デザイン」という言葉をよく口にする。
何故か。
海より深い溝を少しでも埋めるためである。
(いいや、酔っちまってる)
                                  
                               2005年 5月